書道

お習字と書道の間にある壁を超えるのは臨書の意義を実感した時

投稿日:2021年8月4日 更新日:

長く習字を習っているのになかなか上達しない、と行き詰まっている人。

お手本が無いと書けない人。

いい筆に巡り合えない、いい紙がない、と思っている人。

習字教室ではそれなりに書けるのに、結婚式とかで芳名帳なんかに名前を書く時はダメな人。

 

って、これ、みんな私のことです。

習字歴は、中抜きはあったものの20年以上。

それなのに、全く自信がありません。

 

これは何故なんだろうと考えて、気づいたことをお伝えします。

 

この記事の内容

習字教室で身に付くこと

習字教室の限界

書道の腕を上げる方法

1 字を書く姿勢を変える

2 書道の道連れは臨書

3 実験と工夫、そして発見

結論:実力を伸ばすための決定打

 

習字教室に通い続けてるだけでは進歩に限界がある

実は、私には才能っていうものが、少なくとも書道に関しては全くないのかもしれません。

才能あれば、チャンス与えられれば花開くでしょ。

20年ダメって、ダメなんですよね、きっと。

 

いいです。

受け入れます、この現実。

そして、才能無くてもまだ進歩できるかどうか、一生かけて実験します。

 

何故なら、なぜか、好きなんです。

書いている最中が、いい感じなんです。

ゲームに夢中になると他のことを忘れるからストレス解消になるといいますが、それに似ているかもしれません。

脳の他の部分がすっかり休めるみたいです。

 

習字教室で身に付くこと

1 筆と墨、半紙に慣れる

書道の道具は、動物の毛を束ねた筆、植物を燃やした煤を動物のコラーゲンである膠(にかわ)で固めた墨、そして、いろいろな種類の和紙。

こんな特殊な道具の性質を知り、組み合わせ方の実験や練習ができます。

 

2 基本的な筆のさばき方をおぼえる

1 の特殊な道具を使いこなすのは自分の手、腕、体です。

自分の体が道具を意のままに使いこなすには、実際にやってみるしかありません。

それを繰り返し、訓練ができます。

 

3 筆で墨を和紙にしたためた結果を評価する目が育つ

これには20年かかっています。

自分が上手く書けないということがはっきり見えるようになりました。

かなりの間、見えてなかったです。

 

以上の3点は、意識して続けていれば、これからも成長できるでしょう。

 

実は、私の場合は、書道教室に通っても、自分で自分の力はなかなか分かりませんでした。

先生や、所属する集団でのランク評価で、「そんなもんかな」と思うだけです。

この評価は、練習の励みになるので、あってもいいなぁと感じています。

 

★★★ちょっと余談(読み飛ばしていただいてオーケー)★★★

私の場合、所属集団の評価では『5段』ということでそのまま数年たっています。

なぜなら、それ以上のランクに格付けされるには有料の試験を受ける必要があるのに、私は受験していないからです。

書道教室を開きたければ、ランク上の方が「「つぶし」が効くので、有料でも挑戦する価値はあるでしょう。

でも、私の場合は腕を上げたいだけなので、『師範』などの肩書はいりません。

しかも、このランク、身内の所属集団の中でしか意味がなく、一歩外にでれば通用しません。

絵画展に画家の肩書が存在しないのと同じです。

 

習字教室の限界

1 師の技、師の審美眼を超えられない

教室では、先生の書いたお手本をひたすら真似ます。

そして、先生に直してもらい、評価してもらいます。

 

先生の考え方、人格(?)にもよりますが、お手本とは違う字形、筆遣いは直されます。

もちろんほとんどの場合は、技術的に未熟なので、問題はありません。

 

2 自分が書けるものしか書かない。

言い換えると、自分の身に付いた筆遣いしかやらないということです。

筆の持ち方、起筆(入れ方)、運筆、止め、払いなどの終筆がほとんどワンパターン。

それで済んでしまいます。

 

したがって、普段と違う筆、違う姿勢、違う紙だと応用が効かず、結婚式の受付ではサインペンを使うことになります。

 

これ以上書道の腕を上げる方法

スポーツや楽器、語学学習にも、基礎と応用があるように、書道にも段階があります。

 

書道教室で身に着ける3つが、ある程度モノにできたら、次の段階に進む必要があります。

書道教室での習字がひと通り終わったら、次はどうすればいいか。

中抜きはあるものの、20年間書道教室で習字に励んだ私の体験からお話してみます。

 

1 字を書く姿勢を変える

練習を続けることはとても大事、これは成長の前提です。

ただ、ある程度筆の使いかたになれたら、先生のお手本を真似て数をこなす練習を自分への実験と挑戦にかえていかないと進歩成長は望めません。

 

この切り替えのタイミングは結構大事です。

ある程度基本が身に付いた時でないと上手くいかないでしょう。

先生が見極めて助言してくれる場合はいいのですが、先生としても、生徒の意欲のほどを見極めるのは難しいかもしれません。

うっかり助言して、生徒のやる気をそいでしまいかねません。

 

とくに大人の場合は、切り替えのタイミングは自分で見極めることが必要です。

 

私の場合は、従来の練習がマンネリ化して面白くなくなったのがきっかけです。

やはり、級や段が上がっているときはそれが励みになっていたのですね。

もう、それ以上は上がらないという練習は、ついつい自分に甘くなり、機械的な作業になってしまいました。

 

それでも、書道展とかが目の前にあると、そのためには紙がもったいなくなるほど書き直しをします。

家族はまるで修行僧のようだと、感心しながらも心配するほどです。

確かに苦しいです(笑)

でも、その結果は、その時点ではマシかなと思える程度には仕上がります。

もちろん、他の方の作品と並んだ自分の字を見て、恥ずかしくて取り下げたくなるのは毎回のことですが。

これは見る目が成長しているからでしょうか。

 

やがて書道展も終わり、またいつもの「練習のための練習」が戻ってきた時、これでは上達できない、と思いました。

何故なら、自分ができる筆遣いで書ける字しか書かないからです。

何十年も慣れ親しんだ先生の字を、自分の腕でできる範囲できれいに真似て仕上げる。

先生の書き方を真似する限り、先生以上にはなりません。

かといって、完璧な先生のコピーもできるわけではありません。

 

ここでやっと気づいたことは、

今までの姿勢は受け身だったということです。

その従順さが必要な段階でした。

先生のお手本を真似、ほめられたり、直されたり。

勧められた道具を、教えられたとおりに使って、一から十まで指示を仰いできました。

 

今、そんなことに気づいたのは、

先生は先達として常に前を歩く人ですが、もう、同じ歩幅で同じ道を行く必要はなくなったからです。

先生の腕と私の腕は長さもしなやかさも、力も違います。

同じ筆で同じ筆運びをしても、同じ字になるわけがありません。

そして、同じ字を書く必要も、意味もないところまで来たのです。

 

私は、20年もかけてやっと、書道の入り口に立ったのではないでしょうか。

書と自分がまっすぐ向き合い、間に誰もいない状態です。

自分の書の道を歩き始めたところです。

 

2 書道の道連れは臨書

中国の古典の文字が書の百科全書です。

語学の勉強には辞書が必要なのと同じに、書道を歩むには中国の古典が道案内です。

 

書道にはランクはありません。

入門も卒業もありません。

ただ中国の古典という原点があるだけです。

 

字体もいろいろ、筆遣いもいろいろです。

その中で気に入ったもの、書きたい字体をえらんで、ひたすら真似します。

これが、自分の書けないものへの挑戦になって、実力を伸ばしてくれるのです。

自分の筆づかいの可能性を広げてくれるのです。

 

どの筆がいいか、どういう風に動かすのか、誰も教えられません。

他の人の書き方も参考にはなりますが、最終的に自分で工夫し、実験し、見つけるのです。

これは、一人一人の身体条件が違うので、自分で見つけるしかなくて、自分だけの方法になります。

★★★ちょっと余談(読み飛ばしていただいて結構)★★★

私が今挑戦しているのは、『張猛龍碑』

北魏の碑文です。

特徴的な面白い字形でしょ。

まるでハサミで切ったような線

3年前の書道展で挑戦したのですが、挑戦半ばだったので、もう一度やり直しです。

起筆が上手くできないので、書き始めることもできません。

でもそれじゃ、「ノ」ばっかりになっちゃうので、

甘~い墨跡で何枚も書いて、紙の無駄感にさいなまれていますよ💦

 

 

3 書道とは、実験と工夫、そして発見の連続

実験工夫は道具3種類と筆を扱う腕について行わなければなりません。

 

腕は自分の技量なので、習字で身につけた筆の扱い方が基本にはなりますが、

きちんと書けなければ、まだやったことのない筆の扱い方を見つけなければなりません。

 

今回の私の場合は、ハサミで切ったような線はどう筆を動かせば出るのか。

理想の墨あとが出せるまで工夫しながら試し書きを続けます。

 

筆がやわらかすぎたり、穂先が長すぎたりすると、腕の調節が必要になりますが、

それより、腕に合わせた筆を見つけた方が楽です。

 

太い細いは、かなり腕の調節が効きますが、それでも、小さめの字を立派に書きたいときは細めの筆を根元まで目いっぱい使うと力強い小さい字が書けます。

個人的には、太い筆の穂先を使って小さな字も書く方が好きだし、筆を持つ手のひらも疲れません。

 

また、墨の濃さと紙も書く字の種類によって全く違うので、実験工夫が必要です。

しっかり筆運びを練習したいときは、余りにじまない紙がいいですが、墨が水っぽいと紙の上に水たまりができてしまうので注意です。

個人的には、しっかり水を吸うやわらかい紙に濃い墨で書くのが好きです。

 

三種の道具とその組み合わせで合わせる必要があるので、筆の種類x紙の種類x墨の種類の実験が必要なのですね💦

でも実際には、普段のようすからかなりの選別はできるので、筆3,4本、紙3,4種類、墨2,3種類くらいになると思います。

 

私自身が、今まだ、この実験段階なので、これからも発見、変化があると思いますが、

現時点では、筆3本、紙1種類、墨1種類に落ち着いてきています。

筆は上から、一休園の「枯樹」(10年使っていますが健在)、中国の羊毛(穂先が揃っているのが魅力ですが、羊毛で柔らかすぎる)、竹盛堂の「菊香」(細筆)。

今のところ、細筆か一休園かというところです。

参考⇒一休園 熊野筆 書道筆 純鼬毛半紙用 枯樹 曙塗り軸 4号

紙は、やわらかめの楷書用。

墨は濃墨液の原液を使う

参考⇒

肝心の筆運びは、先生ともども、ユーチューブで同じ字を書いているものを参考に、マスターしかかっています。

これをモノにできれば、できなかった筆運びが一つできるようになるので、進歩したと言えるでしょう。

 

結論:実力を伸ばすための決定打

書道を歩み始めたら、他人の入る余地はありません。

自分で自分をごまかすことはできないので、結構きびしいですよね。

 

でも考えてみれば、あらゆることをマスターするのは、最終的には自分次第、他人の入る余地はないね。

勉強だって、洋裁だって、スポーツだって、最終的にはロボットではありませんから、自分がどこまでできるかです。

 

書だからといって大げさに構えることもありませんでした。

そして、他のことと同様、書道にもお仲間があるということは励みだし、参考になったり助けられたりします。

したがって、今まで通っていた習字教室を止める必要はありません。

 

幸いなことに、私の師事している先生は三代目ですが(私は小学校のころから初代、二代目、とずっと門下です)、私の成長願望を応援、共に学ぶと言っていただいています。

また、私より先に、習字から書道へと切り替えた先輩たちも一緒です。

大げさなことを言いましたが、やはり、「練習のための練習」を淡々と今ある環境で続けていかれるのは幸せなことです。

 

結局、変わったのは、私自身の自覚でした。

それが変わったことで、その後に続く変化が起きたのです。

 

自分から挑戦する姿勢が成長の始まりだとお伝えして、体験談をおわります。

 

 

 

 

 

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