生活

ゲームはいい? 悪い? ゲームの変質と対処法

投稿日:2019年4月23日 更新日:

ゲームのいろいろ

英語の ‘GAME’ には、二つの意味があります。

1 楽しみのために夢中になる活動

狩猟に始まり、今ではビデオゲームもこれに入ります。

 

2 結果を問題にする試合

これは、闘牛なども含め、スポーツとほぼ同義でしょうか。

 

日本語の「ゲーム」も、同じ意味に使われています。

 

さらに、辞書の定義にはありませんが、「ゲーム」という言葉には特別のイメージがあります。

それは、実生活に必要なものではない、あるいは、現実的に力を持たないという意味で、遊びごとであるというイメージです。

 

ゲームは、遊びです。

考えてみれば、人間は遊びごとが大好きです。

何の得にもならないのに、お金を使ってまで遊びます。

(注:ゲームで賭け事をしたり、学習教材があったりしますが、これは、ゲームの二次利用なので、ここでは考えません。)

 

遊びごとの意義

古今東西、遊びの魅力は、現実生活から抜け出してストレス解消ができることでしょう。

これは、普段使っている脳の回路を休ませる意味があるのです。

 

クヨクヨ悩んだり、怒ったりばかりしていると、脳の限られた回路に過重な負担がかかり、全身の司令塔としての脳の働きに歪みが出ます。

そんな状態が続くと、健康をこわし、性格も破たんして、人生ますます悪循環にハマりこんでしまいますよね💦

いやいや、心配ご無用。

人間、一つのことに集中していられるのは数秒じゃ。

近年、それもどんどん短くなっている。

そうは言っても、食欲は落ちるし、

1日中、仕事頑張れば、疲れてるし

帰りに一杯もやりたくなりますよ。

 

そうなんです。

ストレスは、緊張状態のことですから、いくら気が散っても、脳がほぐれないうちにまた同じとこ使っちゃえば、筋肉疲労を起こしますとも。

 

アナログ時代の遊び

最初は、人間の遊びといえば、自分の体を使って、じゃれ合ったり、殴り合ったり、けり合ったり、競争したりしていたのではないでしょうか。

それが、身の回りにある動物や石やものなどを使うようになり、やがて、遊ぶ道具を作るまでになった。

 

ここで、自分の体を使うスポーツと、狩りや闘牛、そして道具を中心にした頭脳プレーへと分かれていったのだと思います。

 

こうしていろいろな種類の遊びが分化してくると、選択肢もふえて誰でも何かしらの遊びが楽しめるようになり、

さらに進化して高度化すると、一般人では太刀打ちできないので、専門のプレーヤーに自分の代わりを託して代理プレーを楽しむようになります。

 

こんなことが可能なのも、遊びの最終目的が脳のマッサージにあるからです。

自分が直接やらなくても、脳が遊びに夢中になって現実を忘れればいいからです。

 

直接間接に関わらず、ワクワク感や興奮は、脳の中では擬似体験として、ホルモンの分泌を高めたり、自律神経の働きを高めたり、体調に実際の影響も期待できます

 

デジタル時代の遊び

(注:ここでデジタルゲームという時、カードゲームやジグソーなど、具体的な物や動きが映像に置き替えられただけのものは除外しています。

   また、デジタル化は突如始まったわけではなく、パチンコなどの電気の力を借りたスピード化という過渡期をはさんでいます。)

 

遊びがデジタル化すると、遊びのスピード、スケールがアナログの比較にはなりません。

人知を超えたという言い方がありますが、まさに人間を越えてしまいました。

 

ついて行くのがやっとで、気を散らしたり考察したりしている余裕はありません。

そうなると、脳の働きも特化され、一点に集中、無我夢中にならざるを得ません。

アナログケームなら、夢中で済んでいたものが、無我になってしまいます。

 

遊びの質的変化

現実を超えたスピードとスケールでゲームの世界へ参加させられる時代になりました。

遊ぶことが、遊ばされることへと、変質したと言ってもいいのではないでしょうか。

 

そして、「無我の境地」という禅の修行などでやっと到達できた脳の状態が、デジタルゲームで勝手に誘導できる時代になったのです。

脳科学的に言うと、前頭前野のβ派が低下した状態だそうです。(森昭雄著『ゲーム脳の恐怖』NHK出版)

普段使いの脳が休息している状態ですね。

 

デジタルゲームの問題点

脳の休息状態は、ストレス解消に利用する限りは良い体験です。

問題は、この状態が必要以上に長くなることです。

 

アナログゲームに夢中になっているときは、周囲の音や光、出来事に気を散らす余裕があったため、適当にゲームから離れることができました。

脳の他の部分もちゃんと働いていますから、ゲームに集中しているのも疲れました。

 

しかし、デジタルゲームのスピードやスケールは、プレーヤーを周囲の世界から隔絶してしまうほど威力があります。

ゲームから離れられなくなります。

こうなると、ゲームに支配された生活になってしまいます。

最悪は、アルコールや麻薬と同じ、ゲームなしには生きていられない中毒症状もおきます。

 

悟りの境地に達した禅僧と同じ、無我無欲の状態になれば、現実生活を自分で行うのは無理です。

 

魅力的で強力なものは両刃の剣

麻薬やタバコ、賭博は被害の方が大きいので禁止されています。

アルコールやデジタルゲームは本人の良識に任されています。

高齢者の運転もね。(これは別問題)

 

私が気になるのは、子供たちとデジタルゲームの関係です。

子供たちとゲームの管理は、周囲の大人の良識に任されています。

と言っても、子供たちの集団生活の中で、その扱いがバラバラだと管理は徹底できません。

 

近所の公園では、小学生が輪になって座りデジタルゲームに夢中になっているのをよく見かけます。

高齢者が公園の片隅で将棋をさしているのにそっくりで笑ってしまいますが、この光景はちょっと寂しいです。

 

最近の若者の犯罪傾向の変質や引きこもりなどは、社会の変質とは無縁ではなく、社会の変質がデジタル化と関係がないとは言えません。

でも、何にしても、マイナス面よりプラス面を重視するのが社会の習い。

弊害がさんざん指摘されてからでは遅いのに、です。

 

今できること

大人は自己責任ですから、この際考えません。

子供たちに関しては大人に責任がありますから、できることはやりたいです。

 

思いつくのは、デジタルゲーム以外に、魅力的な、好奇心を刺激し、達成感も味わえる体験の機会を増やすことではないでしょうか。

学校や地元の行事、ゲーム以外の個性を発揮する機会を増やすこと、生活の中で子供が参加できることは面倒がらずに参加させる・・・

 

昔は生活に親子が一緒の場面が多かったのに、昨今は大人の世界と子供の世界が別になり、しかも、子供同士のかかわりも減っています。

大人が気を配る必要があるでしょう。

子供を育てるって、大人には義務であると同時に、信頼の上に託されたという名誉な喜びではないでしょうか。

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