はじめまして。
管理人の夢つむぎです。
毎日、毎時間、毎分、家族友人知人に支えられ、もちつもたれつ、夢つむぎ体験を楽しんでいます。 最近のことはこちら
子供時代
子供のころは親の期待を一身に浴びて、お手本のような良い子を目指し、頑張っていました。
常に気高い理想の姿を追い求めるので、いつだって心の中では「今はダメだけど、いつか良い子に、立派な人に」と歯を食いしばりつつ、実は自信喪失状態で、残念ながら、あまり明るい子供時代ではなかったかもしれません。
でも、昭和30年代から40年代にかけての学校時代は、日本中が希望にみちた未来志向だったので、私の心の中も未来志向でした。
明日になれば雲が晴れる、私は正義のあんみつ姫(知ってますか?)だと、空想の日々でした。
あんみつ姫は剣で悪をこらしめるのです!!
自信喪失しながらも、自分の未来は信じていたので十分生活を楽しんでいました。
今でも、練炭の掘りごたつに入って漫画や小説を読んだあの情景を思い出すと、幸福感にため息が出るほどです。
苦手に挑戦
珍しい本物の「音痴」だったので、欠点克服こそが子供の人生を幸福にすると信じていた母は、私をある児童合唱団に入れてくれました。
児童合唱団は、歌の上手な子が、童謡歌手になったり、ラジオで歌ったりするために集まっているところだったので、私は醜いアヒルの子的存在で、いつも残されて特訓を受けました。
またまた、必要以上に自信喪失体験の上塗りをしたのです。
児童合唱団時代を詳しく書いています→私は音痴だった(1) 私は音痴だった(2)
音痴でも、小学1年から6年まで頑張ったので、5年生ころからは、数人のグループでラジオドラマのテーマソングを歌ったりするようになりました。
その時、放送劇の声優さんたちを見ていて、「アノ方が歌よりはできそう」と思い、母にねだって児童劇団に入りました。
それが、今の一人芝居につながっています。
一人芝居は2017年に20周年を迎え、友人の能楽師の台本演出にオペラ歌手の競演を得て記念公演を行うことができました。
欠点克服のために母が準備してくれたものに、書道教室とお絵かき教室もあります。
今でもヘタの横好きで絵ーと呼べるほどのものではありませんが、自分が作る洋服やバッグ、小物のデザイン画ーを描いたりしています。
気軽に絵筆に手をのばせるのは、母の配慮のおかげです。
書道は中抜きがあったものの、今でも続いています。
書人展で何度か臨書をやっているうちに、ハマりました。
臨書と言うのは中国の古典(石碑)をそっくりにマネすることです。
私が偶然手をつけたのは張猛龍碑、かわった字体ではありますが、どんなものでも表現できるだけの筆扱いができてこそですからね。
今生は、臨書で終わるなと思っています。
もう一度生まれたら、書の名人までいけるかな💦
気が付けばのびのび
振り返ってみると、私は家族や友人に恵まれてきました。
もう有り難いとしか言えません。
おかげで自信喪失は、ありのままの現状を受け入れる勇気と覚悟にとり換わっています。
徐々に素顔を小出しして、これでは? ここまでは? と本性を露呈しても、なんと! みんなが受け入れてくれるではありませんか(*_*)
周囲の寛大さが、私を寛大にし、自分の弱点も認められるようになりました( ;∀;)
自分を正面から見ると、歯を食いしばる頑張り屋でいい子ぶりっこの薄皮の奥では、楽しいことが大好き、みんなと喜んでいるのが大好きだったんです。
と言うか、こう、はっきり言えるようになりました。
特に、洋裁、編み物、手芸は、時間の経つのを忘れます。
楽しく、簡単に作れるものばかりですけどね。
映画も大好き、音楽も、小説も・・・
ホモ・ルーデンス = ホモ・ファーベル
『中世の秋』で有名なホイジンガ―が、著書『ホモ・ルーデンス』(中公文庫)の中で、「人間はもともと遊ぶのが本来の姿だ」と言っています。
遊ぶ人=ホモ・ルーデンスです。
作る人=ホモ・ファーベルよりも、人間の原点は「遊ぶ人」だと言っています。
ホモ・ルーデンスは、ホントは「遊び人」と訳したいけど、それだと博徒みたい💦
あるいは、「遊子」というのもいいと思いますが、藤村の「遊子悲しむ」と誤解されます💦
言葉って、早い者勝ちだなぁ、と今さらながら感心しておりますよ。
そして、私に限っては、ホモ・ルーデンスとホモ・ファーベルは分かちがたいのです。
ホントは、誰もが、ホモ・ルーデンス・ファーベル、なんじゃないかと、実は考えてるんですが。
参考:
あんみつ姫 DVD-BOX 2
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