フレディ・マーキュリーが逝って28年?!
フレディは、1946年9月5日生まれ。
いまも健在なら72才ということです。
でも、1991年11月24日に亡くなりました。
だから私たちの中では、永遠に45才で生き続けています。
あのころ、クイーンを聴きながら生きていた時期が、私にもあります。
フレディは、ファンが望むものを与えるのが自分の使命と言っていました。
I’m going to be what I was born to be,
A performer, who gives people what they want.
これは映画の中で、フレディが言ったセリフです。
確かに、クイーンを聴いていたファンたちは、慰めや励ましといった自分に必要な力をもらっていました。
そして、頑張って生きていた、って感じです。
でも、フレディが亡くなってからさらに28年生き続けた私たちは、いろんな体験をして、環境も変わり、当時とはちがう考え方や生き方も身に着け、あのころの欠落感や正義を求める情熱を、45才のフレディと一緒に置いたまま、今に至っています。
そんな時に、突然、映画館で28年以上も昔の、あのころが、そのまま蘇ったのです。
映画を観ているうちに、私の中から、新たな感動がわき、どうしたことか、勝手に涙腺もゆるんでしまいました。
他の観客も、フレディ同世代から40代ぐらいのカップルが多かったのですが、反応は私と大同小異の印象を受けました。
クイーンの曲は、音楽ジャンルの境界を取り払ったというか、ロックの幅を広げたと言った方がいいかもしれませんが、でも、あれはロックですから、やはり当時10代後半くらいからは生ファンだった人もいるでしょう。
そんな観客どうしが、心をゆさぶられ妙な一体感を味わったのは、やはりクイーンの音楽の力、フレディの声やパーフォーマンスの力なんですよね。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て感じたこと
劇映画は一つの表現なので、ドキュメンタリーではありません。
あくまでも、監督の世界のクイーンであって、ファン一人一人のクイーン、あるいは実物のクイーンとは別のものです。
それを前提として、私が感じたことを整理してみます。
ネタバレはしてないので、安心してくださいね。
○ リアルで感心しました。
撮影の裏話や、俳優の言葉を読むと、すごく時間をかけ、情報を集め、トレーニングして「リアル」を出しているんですね。
みんなそっくりだったので、とてもリアリティがあって、クイーンと現場を共有している気分でした。
だからこその感動でした。
この映画が成功している証拠ですね。
こんなに人気がでるとは、創った人たちも予想外だったようですよ。
これは、音楽の力が大きいと思います。
特にクイーンの曲は、無条件に本能に響いてきます。
驚きなのは、全部昔のクイーンの音を使っているのかと思ったら、そうじゃないんです!
フレディの歌声は、本物と主演俳優ラミと、カナダの歌手マークの三人が分担してるんです。
全然分かりませんでした💦
○ フレディが幸せだったのかが気になった
フレディの望みは、ファンを喜ばせること、ファンが求めてるものを音楽を通して与えることでした。
そのために常に可能性の限界まで挑戦し続けていました。
ファンは、ちゃんと贈り物を受け取ってきましたよね。
そしてその絶頂で、フレディは不治の病に倒れて逝ってしまったのです。
フレディは人生に納得できたのか、気になりました。
それを知りたくて、映画を手掛かりに記事を書いてみたので、よかったら読んでみてくださいね。
Freddie lived his life groping the answer
ボヘミアン・ラプソディがくれたもの
私の中で、あのころの感動が蘇った、と言いましたが、本当はちょっと違います。
涙腺が勝手に緩んだと言いましたが、ホントのところはちょっと違うようです。
感動に浸っていたあのころが懐かしかったと言った方がピッタリです。
慣れ親しんだ曲が大音響で、あの頃をそっくり再現したので、
なつかしさに心を震わせる、という新しい体験をさせてもらったのだと思います。
何となく、人生に納得、今の自分に納得、そんな感じです。
そして今、また、クイーンを聴いています。
すごい声だな!
このメロディがきれいだな。
このリズムが響くよな~。
転調がドラマチックだな。
なるほど、ここで発声を変えてるのか。
こんなこともチラッと思いながら、やっぱり感動、元気をもらっています。
そして、音楽的意義を越えて、クイーンの存在感、偉大さを今にしてやっと垣間見ている気がします(/ω\)